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80歳記念の屋久島登山

   記:川野

目次

80歳記念の屋久島登山

【出発まで】

令和4年2月例会議事録、見て

「ビックリ !」

なんと、現在企画案 「川野さんと行く屋久島ツアー」(3泊4日を想定)の記事が ! !

「まるで旅行業者のパック旅行みたい」との声も。(笑)

屋久島には偶然だが、70歳と75歳の節目の年に登っていたので、次は80歳の年に行こうと思っていた。ところが昨年1月頃から、歩きに違和感があり、「おかしいな?」と思っていたが、2月末にはついに歩行困難な状態となった。病院で「頚椎症性脊髄症」と診断され、手術により歩けるようにはなったが、以前のように正常な歩きは出来なくなった。

いつだったか忘れたが、「屋久島に行きたかったけど、行けなくなって残念です」と田邊さんと雄介さんに話した。すると、すぐさま二人から、「荷物は全部持ちます。行きましょう」との言葉が返ってきた。

「うーん、それなら行けるかも? 行きたいですね」と、深く考えずに返事した。

「行きたいですね」とは言ったものの、ヨタヨタ歩き状態で屋久島縦走ができるだろうか?不安な気持ちのまま過ごしていたが、例会議事録の記事が私を決心させた。

「もう行くしかない ! 」

しかし、この時点では下山コースを決められず、迷っていた。雄介リーダーに、「屋久島が初めての参加者には、大株歩道を下って縄文杉を見せたいけど、膝が弱い私は、コースの各所にある、急な木階段の下りが不安です」と話しした。すると、「私達は屋久島へは、これから何度も行けます。縄文杉はその時で良いです」と言われた。

そこで、屋久島登山ではほとんど歩かれていない、多分これからも歩くことはないと思われる永田歩道が記念山行にふさわしいと考えた。それと、3日目の夜に永田の民宿に泊って、ゆっくり出来るのも良いと思ったからである。私が永田歩道を下るのは、平成12年夏、瀬切川遡行の時が最後なので、実に22年振りとなる。

それからは、日課の城山トレーニングの距離を延ばした。また宮之浦岳の写真をパソコンの待ち受け画面にして日々眺め、「絶対に登るぞ !」と気合いを入れ、出発の日を迎えた。

宮之浦岳をパソコンの待ち受け画面にして、毎日眺めて気合いを入れた。

5月20日(金)曇り夕方から雨

曇天の空模様を気にしながら、トッピー乗り場に着くと、既にメンバー全員が揃っていた。

船は揺れることもなく、予定通り宮之浦港に着き、予約していた屋久島交通タクシー2台(1台は9人乗りジャンボ)で淀川登山口へと向かう。

ヤクスギランド手前で、ヤクザル親子の出迎えがあり、紀元杉は遊歩道を一周し、運転手さんに全員集合写真を撮ってもらった。

紀元杉での全員集合写真

宮之浦港から約1時間30分で淀川登山口に着いた。

今にも降り出しそうだが、幸い雨にならず、ここで昼食をとる。居合わせた地元の登山ガイド(名は迎さん)に、永田歩道の「山ビル」の状態を聞くと、竹の辻辺りから下りに多いとのことだった。

また「山ビルファイターは効かないよ」とも言われた。

今日の行動は淀川小屋まで。私のザック重量は恥ずかしながら4Kgほどにしてもらっているが、他は16~20Kgものザックを担いでいる。

それでも余裕しゃくしゃく、本当に頼もしい。登山口で全員集合写真(と思いきや、1人足らず)を撮り、いよいよ宮之浦岳に向かって出発。

淀川登山口での集合写真あれっ、誰か1人足りない !

ピッチの遅い私と私をサポートしてくださる数人以外は、淀川小屋の場所確保のため先行してもらう。小さな登り下りを繰り返すと、14時少し前に淀川小屋に着いた。

幸い先行パーティーが一番乗りで、今回の山行で心配した一つをクリアした。

11人の場所を確保したところで、怪しかった空からシトシトと雨が降り出した。

早めに夕食の準備にかかる。炊き立てのご飯に肉たっぷりのすき焼きを美味しく頂いた。

誰とは言わないが、最後は2人が鍋ごと汁を飲み干し、鍋を空にした。

淀川小屋での夕食はすき焼き

私達の後から到着した小屋泊の登山者が数人いたので、夜の雑談は早めに控え、20時過ぎにはシュラフに入ったが、結構寒く熟睡出来なかった。

5月21日(土)雨・夕方から曇り

一晩中シトシト、たまにザーッという雨音と、寒さで熟睡出来ないまま一夜明けた。朝食は小屋でとることに変更。

雨具を着け、計画から1時間遅れで出発。淀川にかかる橋を渡ると、私にとって最初の難所で、地図に急登と書き込んだ、標高差約100mの登りが始まる。城山トレでは経験出来ない急登だ。

ここでダメだったら、縦走はとても無理、諦めて1人引き返すしかないが、それでは今回の山行の意義がなく、「迷惑をかけた」どころの話しではなくなる

不安定な膝に力を込めて一歩一歩高度を稼ぐ。

急坂を越えると一旦楽になったが、すぐ「小花之江河」までの標高差150mほどの登りとなる。途中、高盤岳展望台から「トーフ岩も何も見えず真っ白」と会員Mさん声が聞こえた。

私をサポートしてくださるメンバー以外は、先行しているので、もう黒味岳の登りに取りかかっているだろう。

再び急坂を登り、小花之江河を過ぎると「花之江河」に着いた。

私にとって花之江河は、今回の山行で、「行こか?戻ろか?」の判断ポイントで、「ここまで来れたら、先は何とかなる」と考えていた地点である。背景の黒味岳はまったく見えず、道標を入れて写真を撮った。

黒味岳山頂の先行パーティー

黒味分かれに着いたが、当然黒味岳往復はパス。

サポートメンバーも私に合わせてパス。本当に申し訳ない。そのまま投石へと進む。

このことで先行パーティーとの時間調整が出来て、投石で昼食中、黒味岳を往復した先行パーティーの6人と合流した。

投石はいつもなら、満開のヤクシマシャクナゲが一帯を彩り、後方にそびえる黒味岳との素晴らしいロケーションを楽しめるのだが、黒味岳はガスで望めず、花も少なかった。

投石岳、安房岳、翁岳の西斜面をトラバースして、水場のある翁岳と栗生岳のコルに着いた。

ここから宮之浦岳への標高差約200mの登り坂となる。

城山トレできつくなると、この登り坂をイメージして頑張った。

しかし、ガスで何も見えない。いま写真のどこ辺りだろうか?「ハーハー・セーセー」息を弾ませて登ると、ようやく栗生岳の巨岩の基部に着いた。

巨岩には岩屋があり、中に祠があるので参拝したいが、そんな余裕はない。先行パーティーはもう宮之浦岳山頂に着いているだろう。

いよいよ標高差約80mの宮之浦岳への最後の登りとなった。重い膝と心臓に「頑張れ・頑張れ」と心の中で声援を送る。

「パチパチパチ」と拍手の音が聞こえ、顔を上げると、そこに私達を迎える笑顔・笑顔・笑顔があり、見覚えのある宮之浦岳の山頂があった。

予定時刻を大幅に過ぎて到着した私達を、拍手で迎えて頂いたことに感謝・感無量 ! ! 宮之浦岳は全員で登頂を喜びたいと思っていたので、本当に良かった。

小雨の中の宮之浦岳山頂

好天なら、360度の大パノラマが展開する九州最高峰の山頂だが、残念ながら目前にある永田岳さえ見えない。写真を撮りまくって、焼野に向かって下降開始。

焼野三差路を過ぎ、一旦下って登り返すと、永田岳山頂と永田歩道との分岐に出た。雨が止まぬこの天候なので、永田岳山頂往復は全員パスして鹿之沢小屋を目指すことに。

しかし、ここで気になる事態が ! !

スマホ情報によると、今日11人パーティーが鹿之沢小屋に宿泊予定 !

だったら既に入室していると思われるが・・・この情報正しいのか? 

11人?ひょっとすると、我々のことではないか?

ローソク岩展望台まで下ると、ガスの中にボーッと霞むローソク岩が見えた。

鹿之沢小屋へはますます急な下りとなる。膝に体重がかかると、ガクッと折れそうになるので、段差の大きな個所は尻を着いて下る。

先行パーティーはとっくに鹿之沢小屋に着いているだろう。

私達の余りにも遅い行動に心配した田邊さんが、小屋から急坂を登って来られた。田邊さんも当然お疲れのはずなので、誠に申し訳なく思った。

田邊さんから、「小屋には8人パーティーが居ます」と聞いた。小屋は20人収容、それに19人は厳しいかな?でも何とか詰めてもらって全員小屋に入りたい。

眼下に白い屋根が見え、鹿之沢小屋に着いた。

暗い小屋の中を覗くと、先着8人の装備類がかなりの場所を占有していた。小屋から出て先着の方と話しすると、東京から来たパーティーで、1人は何度も屋久島を訪れていると言われた。

小屋への同居をお願いすると、なかなか親切な方で、快く承諾されたのでホットした。

しかし、実際には20人収容に19人は無理。

雄介・会員Mさん夫妻と、田邊さん、森重さんが、持参テント2張りに2人ずつ寝ることとなった。

雨は止んだが、じめじめしたテント場に寝る4人には、本当に頭が下がる思いだった。

淀川登山口でガイドの迎さんから、「鹿之沢小屋は綺麗に改装されている」と聞いた通り、石積みの外壁はそのままだったが、内部の柱、壁、床、天井と屋根はすべて新しくなっていた。

夕食は各自好みのメニュー。

私と他3人は、アルファー米に寿司太郎、玉子スープ、海藻サラダ、酢の物(かつお節をかけた玉ねぎのスライス)だった。4人とも美味しく食べたので、「晩ご飯を美味しく食べられたら、明日の行動は問題なし」逆に「晩ご飯が喉を通らなければ、明日の行動は要注意、バテる可能性あり」という山の格言?を話す。

山小屋での就寝時間は早い。

まだ20時だが、もう既に熟睡している登山者のイビキが聞こえる。昨夜は寒かったが、幸い今日は暖かい。

濡れた肌着を脱いだので、着重ねの枚数は減ったが、それでも暖かく感じた。2階からのイビキはしばらく眠りを妨げたが、そのうち寝てしまい、翌朝起こされるまで熟睡した。

5月22日(日)曇り

目を覚まして辺りを見ると、既に8人パーティーの姿はなく、ACKメンバーは、せっせとザックに詰める作業をしていた。

フランスパンにジャム、ソーセージ、コーヒーの朝食をとり、鹿之沢小屋を出る。

鹿之沢小屋の出発前に
鹿之沢小屋の出発前に

永田橋まで13.2kmある永田歩道の長い下りが始まった。間もなく「七つ渡し」のナメ沢を横切る。何の特徴もない「桃平」を過ぎると、左に「左巻き大桧」を見る。コースの8~9割は下りなので、楽勝のはずだが、勾配がキツいので辛い。大腿部の筋肉に張りを感じるようになった。

竹ノ辻にて。ここでパーティーを分け、5名が先行して下る。

大きな空洞になった「姥ヶ岩屋」を見て、高低差のない歩道を下ると「竹ノ辻」に着いた。鹿之沢小屋から5.2Km、まだ行程の半分に満たない。ここまで全員で行動してきたが、私の遅い歩きで予定時間を大幅にオーバー。

ここから田邊サブリーダー他4人が先行パーティーとして下山し、民宿「ながた岳」への連絡などしてもらうことになった。

急な下りが続き、私の速度はますます遅くなった。

雄介リーダーが、このペースでは、民宿着は早くても20時を過ぎると判断された。

それからシャワーの時間などを考えると、夕食は21時過ぎになってしまう。メンバーにも民宿の女将さんにも申し訳ないが、これ以上早くは歩けない。

私が「モチダ橋に着いたら民宿まで走りましょう」と冗談を言ったら大笑いになった。

辺りが薄暗くなる前にヘッドランプを出す。本暗くなるまで時間はかからなかった。

ヘッドランプの灯りを頼りに、ヘゴ?(シダ?)が茂る歩道を下る。左手の沢の左岸に林道らしきものが見えたようだったが、歩道は沢の右岸に沿って、50m程高い所を北に向かって続いている。

「間違いでは! !」「分岐があったような?」の声もあり、改めてリーダーがチェックし、本道であることを確認した。しばらく下ると林道に出て、ようやく「モチダ橋」に着いた。

私の歩く姿がおかしかったのだろう。

雄介さんが私に「ザックの荷を取ります」と言われた。一旦断ったが、民宿到着がますます遅くなれば、なおさら迷惑をかけるので、素直に甘えることにした。

濡れた雨着や肌着など入れたビニール袋を預けると随分軽くなった。「全部持ちますよ」とも言われたが、そこまですると「男がすたる」「プライドが許さない」とか、強がってお断りした。

スマホ連絡で、民宿の車を女将さんが運転して、田邊さんと一緒に迎えに来てくださることが分かった。平坦な舗装道路だが、民宿まで2Km弱あり、私の足では1時間以上かかだろう。本当に助かった。

暗闇の中に車のヘッドライトの光が見え、進入可能な所まで来て、我々を待っていてくださった。

民宿との間を2往復して頂いたお陰で、20時少し過ぎに全員民宿に着いた。

順次シャワーを浴びて、一同揃って夕食。ビール・ジュースで乾杯。ここを予約する際に、「大名竹を食べたいけど出してもらえますか」と聞いたら、「出しますよ」と言われたので楽しみにしていた。

大名竹は、蒸したのと天ぷらがあった。料理は食べきれないほど出て満足の夕食だった。

民宿「ながた岳」の夕食
民宿「ながた岳」の夕食

食事の後、男性の8畳間に集まり、つまみを出し合って雑談と反省会。福岡さんが、手のひらに黒い物が付いていたので、私からもらった羊羹の食べ残しだろうと思って口に入れたら、それは山ビルで、上あごに吸い付いたヒルをつまみ出した。という話しをしたので、大笑いとなり、場が大いに盛り上がった。

山ビルに好かれて献血したのは9人、うち最も山ビルに好かれた会員KKさんは10匹に献血、私と雄介さんだけが嫌われ者でした。

山岳ガイドの迎氏から、「山ビルファイター」は効かないと聞いたが、我々が購入した「昼下がりのジョニー」も効果はなかったようである。

5月23日(月)晴れ

8人が4時に起きて、「いなか浜」の海亀上陸を見に行った。タイミング良く海亀が海に帰る所を見られたとのこと。私はいなか浜まで歩くことを考えてパスを決めており、皆が帰ってくるまで熟睡した。

民宿「ながた岳」玄関前での記念写真

玄関前で女将さんに全員集合写真を撮ってもらい、計画通り定期バスで宮之浦港へ移動、土産品店で買い物の後、レストランでそれぞれ好みの昼食をとり、宮之浦港から、フェリー屋久島Ⅱで鹿児島港に戻った。

【感想】 

1年前は、5月下旬までHリハビリセンター病院に入院して、歩行訓練を受けていました。それから1年後、念願と言うより、私のわがままな80歳記念の屋久島登山

皆様のご協力とご支援を頂いたお陰で、無事に完歩させてもらいました。本当にお世話になりありがとうございました。

あいにく天候に恵まれず、雄大な景観を目にすることが出来ませんでしたが、雨の中、重荷を担いで黙々と登る皆様の姿に感動しました。

また、4日間の行動中、皆様から頂いた温かい、優しい心遣いに感謝の気持ちでいっぱいです。

今回は山歩きの基本である歩行機能に問題があり、さらに後期高齢者というハンデイが加わり、これまでで最も厳しい登山になりましたが、私の「80歳屋久島登山を成功させよう ! 」という、皆様の気持ちが伝わっていましたので、それが私の大きな力になりました。

バランスを崩して倒れたのを起こしてもらったこと。きわどい所で手を差し伸べ、引き寄せてもらったこと。宮之浦岳山頂で「芸能人?とのツーショット撮影会?」みたいと笑ったこと。ヘッドランプを点けての下山。山小屋・民宿での食事・雑談など、あちこちのシーンが記憶に残っています。

最高の山行を与えて頂き、本当にありがとうございました。

皆様に心から感謝しつつ、さて、次の記念山行は85歳 ! どうしましょうかね。(笑)

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この記事を書いた人

アルパインクラブ鹿児島の創設者
登山、沢登り、岩登りとオールマイティに活動中
若手の育成をメインに活動されています。
書籍『鹿児島県の山・沖縄県の山』を執筆
『鹿児島の沢登り』『近くて良き山・高隅山』執筆・自費出版
他etc・共著

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